KOJIさん天国へ
私がバンギャだったことを知らない人も多いと思いますが、実は度を越えたバンギャでした。
当時、「好きな盤麺に会いたい」というだけでライターになり、週に締め切りが6本前後くらい仕事のあるライターでした。(そこそこ稼いでいたという意味)。
私の中で殿堂入りレベルのギタリストが3人いて、先日亡くなった元ラクリマクリスティー、ALvino KOJIさんはその一人でした。
月刊サイゾーの「ビジュアルさんいらっしゃい」という連載でKOJIさんを取材していて(というか会いたくてオファーした)、この時ばかりは「ライターやって良かった」と歓喜していました。
それほど好きだったKOJIさんが亡くなったことは、心身共にダメージで、心に隙が出来たのか体調不良でずっとお休みしている状況です…(人が聞いたらアホですね)。好きな盤麺が結婚とか再婚、裁判沙汰はいままでどーでも良かったのですが、同世代の盤麺の死ということもあり、さすがに堪えました。
KOJIさんの死をきっかけに自分の仕事を振り返っていました。
ライターは私にとって「天職」でしたが「適職」ではありませんでした。
天職…好きなことを仕事にすること
適職…得意なことを仕事にすること
当時は毎日「好きな仕事が出来て生活できて神様ありがとう!」と感謝していましたが、「適職」で始めた保育園事業が面白くなり、こどもがお受験をし小学校へ通う頃から、事業を拡大してきたので、どうしても私の情熱と時間は、「天職」から遠のいていきました。
動くお金が大きくなったこともあり、沢山の人を笑顔に出来たし、幸せに出来たし、その人たちの生活を守ることが出来ました。個人的なレベルだと田園調布に家を建てられたし、親に金銭的援助をしてあげることが出来たので、あの時、「適職」を選んだことに後悔はありませんでした。
人生後半戦、また書く仕事は出来るのかな。
とぼんやり考えてしまいました。